【50代 しごと】『一生の仕事』なんてものはない
美容学校を卒業しエステの国際資格を取った時、「よしこれで手に職。一生安泰」と思ったが 現実はそんなに甘くなかった。
更年期あたりで 手が使えなくなる可能性を、40代の私に誰も教えてくれなかった。
子供の時に夢見る職業は、一生の仕事にはなり得ない。
手に職があるのは 安心要素ではあるが、それでも一生の、なんてものはない。
私が短大を卒業して最初についた職業は、アクセサリーの企画デザイン。
数ヶ月で辞めてフリーターになり、昼夜仕事を掛け持ちしてお金を貯め、オーストラリアにワーホリに。
帰国後、留学アドバイザーに。
この後結婚、妊娠出産、主婦となる。
趣味で始めたベリーダンスが徐々に仕事になっていき、11年間ベリーダンス講師として働いた。
が、夫の勤めていた某国有企業が潰れることになり、まともな仕事についてくれと言われて、美容学校に1年通う。
その後ビューティセラピストとして就職。
久しぶりの雇われ人人生が始まった。
やっと一生の仕事が…と思ったら、手を痛めて退職。手術。
以来家でのんびり仕事をしている。
50代後半の今、今から手指を使わない別の『手に職』のために、お金を使って学校に行き新しい技能資格を身につけるつもりは、さらさらない。
例え手指を使わない頭脳労働についたとしても、すぐに呆けるかもしれないし。
学費というのは結構な金額なので、その分投資でもしたほうがマシだ。
しかし自分は投資にもあまり興味がない。
投資が好きな人はやればよいと思うが、お金の動向を常に気にするのは自分にとっては大きなストレスになる。
いまは 庭の雑草と仕事で人の毛を抜いてるだけで、ほぼ満足というゆるい生活…
そして、この先どうなっていくかは、成り行きに任せようというスタンス。
大人になったら何になりたいか、どんな職業に就きたいか、と大人はよく子供に訊ねるが、むしろ、どんなふうに暮したいか と訊ねる方が理にかなっているのではないかと思う。
職業は一生ものではないが、暮らし方(ライフスタイル)は、人生そのものともいえるからだ。
私はいつも、何になるかという事ばかりに気を取られていて、どんな暮らしがしたいのかと考え始めたのは、ここ10年くらいだ。
次女が高校の卒業文集で『将来の夢』を書かされた時、多くの生徒達はなりたい職業を書いていた。が、娘は、
『好きな仕事をしながら、海の傍に住んで 犬を飼い、時々旅行に行ける暮らしをしたい』と書いた。
そうか、夢として職業を挙げなければ、夢破れることもない。こういう言い方をすれば、少しずつ自分の望む人生に近づけていけるんだ、と目からウロコだったのを覚えている。
あれから10年。
次女は、なりたかった建築士になった。時々旅行に行っているが、海の傍の家と犬を飼うことについては、まだ実現していない。

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