【ご近所トラブル】隣の汚庭への仏教的アプローチ
おはようございます。
朝起きたら窓越しに、板塀ごしにすくすくと天に向かって伸び続ける隣の木々が目に飛び込んでまいりました。
おはよう、汚庭の木
隣のオヤジは忌々しいが、木々に罪はありません。
むしろ愚か者の手によって間違った場所に植えられ、世話をされずにネグレクトされてきた気の毒な木達といえるでしょう。
私はこの問題について、色々な角度からアプローチし、自身の成長を促す機会にしたいと思います。
また自分の内面を見つめ、自分自身の煩悩を断ち切り、心の平和を得るのです。
自分の家の庭が隣の汚庭の森の陰になり、一生日陰の身を強いられるとしたら、その逆境をポジティブ転換するにはどうしたら良いか、庭の気持ちにもなったつもりで、考えました。
仏の教えに照らして考えると、まず塀の向こうの木々に罪はないということです。
むしろ私に教えをくれる、ありがたい存在と言えましょう。
この木々の前に竹林を
注:フェンス塗れよというくらい汚いですが、隣の木々が押してきてフェンスも倒れそうなので、倒れてから新しくするといって夫が塗るのに反対しています
いっそのこと巨大な仏像を買ってですね、隣家の木々をバックグラウンドに、瞑想のための庭を作ったらどうでしょうか。
そして板塀のこちら側に竹の木をずらりと植えて竹林を作り、その前に仏像を設置するとより一層、禅の庭っぽくなると思います。
ご存知のように竹は成長が早く、地中からも広がって、やがて隣の敷地に侵食し、隣の木々の間から芽を出すことでしょう。
そして隣の木々を完全に覆い隠してしまうに違いありません。
隣のオヤジは竹をなんとかしろ!と怒鳴りこんでくるでしょうが、知ったこっちゃありません。
私は竹を背景にした仏像の前で、瞑想を続けるので何も聞こえません。
因果応報の理を オヤジは学ぶでしょう。
汚庭の森の前で瞑想を続ける私は、やがて悟りを開き、陰もまた光。
どんなに庭が陰になろうと、隣のオヤジが怒鳴ろうと、私の心は陽の光にあふれていることでしょう。
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